3-1.黄昏世界 Through the Looking Glass

鎧衣大尉

夕暮れの空に太陽が朧に沈んでいく。
それは幼い頃に砂漠で見た夕焼けを思いださせてくれた。
どこの砂漠だったのかは覚えていないが、隣に父がいたことだけは記憶している。
父は駱駝の手綱を握って、じっと落陽を眺めていた。
それから、「砂漠の夜は冷える。昼とは違う。覚えておきなさい」と言った。
ボクは黙って頷いた。
少しばかりの時間の後、空の色が暗い藍色を含み始め、小さな白い光点が瞬き始めていた。
子どもの頃、父はボクのことを連れまわしていた。
その理由には見当がついている。
スパイの多くがそうであるように、父もまた商社マンという肩書を持っていた。
交渉役として現地に赴き、あるいは駐在員として滞在し、日本帝国のために暗躍する。
家族持ち――特に子どもと連れ立って動くのは、良い煙幕になっていたのだと思う。
だから多分、あの夕焼けは日本の光景ではないんだと思う。
『――――02より01。半径2キロ圏内にBETA反応なし』
無線越しに親友の声が聞こえてきた。
「――01了解。これから降りて調査するよ。警戒よろしくね」
『――――了解。気を付けてください』
彼女はいつも丁寧でそれは出会った時から少しも変わらない。
それにしても半径2キロ圏はBETAの速度から考えれば数分の猶予ということ――だけど彼女の狙撃技術なら4~5キロ先の移動目標でも撃破できるので問題ないか。
発電所を利用した基地だと聞いてたけど、施設はほとんど残っていないな――多分、複数回の襲撃に遭ったのだろう。
本当にこんな所から通信があったのだろうか――記録されてるので間違いはない。
でも、人が生き残ってるかどうかはわからないよね。
脳内に兵士ソルジャー級に喰われた人々の死体が浮かんでくる。
同時に過去の戦闘が次々とフラッシュバックする――初陣、佐渡島攻略戦、横浜基地防衛戦。
亡くなった先達の顔――正門前の桜と武骨な鉄骨の墓標。
あぁ駄目だ――深呼吸して頭を空にしようとする。
昔からの悪癖になるがボクの思考は暴れ馬のようにどこかに跳んでしまう。
どうでもいいことが異常に気になったり、いま話すべきではないことに固執してしまったりする。
意識して本筋から外れないようにしているのだが、それも上手くいっているとは言えない。
治療をお願いしてみたが、完治は難しいらしい。
それでもいまは制御することができた。
偶然、あの人の顔を思い出したからだなとボクは気づいた。
再び細くゆっくりと息を吐き出して精神を落ち着かせる。
機体操作を自律モードに移行して拳銃と自動小銃を確認――安全装置セーフティを解除し、いつでも発砲できる状態にしておく。
小型種相手でも牽制程度にしかならないと理解しているが気休めにはなる。
「さて、と……。誰かいるといいなぁ……」
降着姿勢の機体から懸垂下降――薄く埃の積もったアスファルト――走ったら滑るかもしれないと心のメモに記入した。

電源の落ちた基地の廊下は暗かった。
強化装備のフルフェイスヘルメットの暗視モードを起動して視界を確保する。
廊下にも薄く埃が積もっている。
「すみませーん、誰かいますか?」
スピーカーによって拡大されたボクの声が閑散とした廊下に木霊した。
「助けにきましたー! いるなら返事してくださーいねー!」
どうにも期待はできそうにないな――ゆっくりと歩を進めながらボクはそう考えていた。
宿舎の窓際には椅子や机が積み上げられており、簡易的なバリケードになっている。
太陽光が遮られており、それが廊下の薄暗さに拍車を掛けていた。
洞窟みたいだな――ヘルメットのライトを点けるべきかな。
このライトは3000ルーメン程度の出力だから、暗視モードを解除しないと駄目だね。
暗視とライトとどっちを使った方がいいんだろ。
そういえば昔、父さんと洞窟に潜った時は――はたと脚を止めた。
駄目だ、また思考が跳んでいる。
いまは生存者の捜索に集中しなければならない。
だが、生存者がいるなら戦術機が到着した時点で出てくるはずであり、それを考えれば生存者発見の確率はとてつもなく低い。
それでも施設内を一周しようとしているのは、これも妙なことに執着しやすい自分の性格が原因なのだろう。
隅から隅まで探索しないと、あとでボクが気持ち悪くなるのだ。
司令部、PX、装備保管庫、兵員宿舎――一部屋ごとに中を確認した。
僅かばかりではあったが生活の痕跡を発見することができたが、まだ誰とも出会えていなかった。
畑にされていた兵員宿舎前の庭は小型種によって踏み荒らされていた。
割れた窓は板で補強されており、内階段には簡易的なバリケードが設置されていた。
そしてそのバリケードの前に軍人の遺体と兵士ソルジャー級の残骸。
絡み合ったままの状態で絶命していた。
黒い血液で固まったBDU――軍人の左腕がなくなっている。
兵士ソルジャー級の後頭部が破裂しており、まるで肉の花のように見えた。
それで手榴弾を兵士ソルジャー級の口の中に突っ込んだのだと推測できた。
「ご冥福を祈ります……」
小声で囁く。
勇敢な人だったんだろうな――顔が半分砕けて焦げている。
武器の回収をしないとと、死体をまさぐった。
乾いた血液がBDUを硬化させており、ポケットを探るのに苦労した。
「凄いね、この人……」
拳銃の弾は残されていない。
手榴弾も残っていない。
ほぼ徒手空拳でBETAと戦ったのだと思い至った。
ブーツナイフだけは未使用で残っていたが、それを巻き上げるのは何か違うと思って止めた。
軍人は逃げずに戦って死んだ――仲間に通信して捜索を継続すると報告。
生き残った小型種がいるかもしれない確率と生存者が残っている確率。
そのどちらの可能性が高いのかは判断できなかったが捜索を継続する。
それから一時間が経過した。
生存者は見つからず、またBETAとの接触もなかった。
正直な話、絶望的な探索を続けながらもボクは楽しんでいたのかもしれない。
発電所という普段はあまり立ち入ることのない施設を見学しているようで、それらの情報はボクの脳を刺激してくれていた。
無論、途中で何度も真面目に捜索しろと自分に言い聞かせることになったのだが、それでも周囲に人の目がないこともあって気分的には楽だった。
途中で通信室を発見した――定期的に信号を送るように設定されていたが、そこも無人だった。
「これがボクたちを呼んでいたのか……」
駄目か――定期発信を停止する。
もう少し早く、ここに来られれば生きている人に会えたのかもしれない。
味方に通信を入れて最後にシェルター区画を捜索してから戻ると告げた。

基地のシェルター区画に侵入――本舎の地下に広がった区画は倉庫を兼ねていて、使えそうな物資が転がっていた。
あとで回収しよう、これだけの物資があれば少しは楽になるはずだし――念のため、録画記録にブックマークを挿しておいた。
厳重に閉じられた扉の先――そこはとっくの昔に電源の切れた冷凍室だった。
なんで発電所にこんな設備があるんだろ――そういえば本土防衛計画で重要設備にはシェルターの設置が義務付けられて――そんなのわかってたことだと気づいた。
自分の間抜けさに苦笑――なんで自分はこんなに馬鹿なんだろう。
自分と会話していると千鶴ちづるさんはよくため息を吐いていたなと思い出す。
あの時はため息の意味を考えることはなかったが、いまなら理解できる。
理解したとて、何の意味もないのだが――。
「失礼しまーす……」
ホラー映画にありそうなシチュエーションだね、と独り言ちながら進んでいく。
棚には口の開いた缶詰が、床にはポリタンクが倒れている。
その先に毛布が床に敷かれていて、誰かがここで生活していたと示していた。
「……誰かいませんか?」
小声で――もしも誰かいたら驚かせてしまわないように呼び掛けた。
次の瞬間、靴底が見えた。
脚が棒のように伸びている――壁を背に座っているのだとわかる。
視線を上半身に向けて見たくなかったものを見つけてしまった。
おそらく基地で保護された難民なのだろう――まだ子どもといえる二人姉妹の遺骸が転がっていた。
姉妹と判断したのはふたりの顔つきがよく似ていたから。
そして、幼い妹のこめかみには弾痕が残されていて――反対側のこめかみには大きな開放傷ができていた。
「そっか……痛くないようにしてくれたんだね……」
おそらく姉が妹を撃ったのだと理解した。
心臓を打ち抜いた場合、数秒は意識が残る、残ってしまう。
苦痛を妹に与えることになる。
だからといって幼い妹の額を正面から撃ち抜くことはできなかったのだろう。
妹を抱き寄せて、そのこめかみに銃口を触れさせないまま、彼女は引き金を引いた。
干からびかけた妹の死体に苦悶の表情はなかった。
そして――姉妹の前に膝を着いた。
姉の遺体には顎下から頭頂部に抜けた弾痕――それは自らの手で命を抹消した痕跡だった。
「拳銃を咥え込むと金気で吐いちゃう場合があるって知ってたんだね……」
誰かが教えてくれた死の作法――ひょっとしたら、兵士ソルジャー級と相討ちになっていた男が教えたのかもしれない。
それを少女は忠実に実行したのだろう。
「……ごめんね。埋葬してあげたいんだけど、そこまで時間はないんだ」
彼女たちにしてあげられることは何もない。
「ふたりで仲良く……静かにお眠りください」
姉の死体が寄りかかる壁には赤黒い液体が乾燥した跡――悪趣味な芸術。
でも、姉妹の死体は後光を背負う宗教画にも見えた。
だから――手を合わせて祈ってみた。
その自己満足に微かに嫌気が差した。

機に戻り、暗い管制ユニットの中でヘルメットを外す。
伸ばした髪が重くて煩わしい。
疲れた――鍛えてはいるが年齢には逆らえない。
大きく息を吐き出して気持ちをリセットする。
『――お疲れ様でした。大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫だよ、壬姫みきさん。トラック2台分くらいの缶詰が残ってたから基地に報告を入れておこう。回収部隊を寄越してくれって」
生存者はいませんでしたとだけ報告するよりはいい。
『――了解、それは私の方からやっておきます。鎧衣よろいさんは帰投の準備を――』
「ありがとう。お願いするね」
帰投の準備といってもやることが多いわけでもない。
記憶が鮮明な間に地図データに特記事項を記入する程度だ。
それが終われば、あとは基地に戻って――基地に戻ってどうすればいい。
そこで動きがハタと止まった。
日本政府が日本列島を放棄してからもう数年の時間が過ぎていた。
日本脱出を嫌った人々は各地に点在していたが、それらの小規模拠点は次々と殲滅されてしまっていた。
今日、調査した仮設基地も、そのひとつだ。
横浜基地はBETAによる反応炉奪還を防ぐために、要塞化して敵中孤立することになった。
当初こそ、米国第七艦隊の空母による補給を受けられていたが、太平洋沿岸部がBETAの支配圏になった現在では、潜水艦による補給へと切り替わっていた。
潜水艦輸送は秘匿性こそ高いものの、水上輸送船に比べると積載できる物資は非常に少なく、物資は潤沢とは言えなかった。
そして、その補給すら最早――。
外部の光景が網膜に投影される。
赤黒い空だった。
それはいつか見た砂漠の夕暮れと同じ色なのだ。
実のところ、ボクは知っている。
塵と埃が太陽光の中の青を散乱し、赤だけを通過させる。
レイリー散乱によって砂漠は血の赤を纏うのだ。
人類が滅亡し、自然が破壊され尽くした後の世界――BETAが勝利した後の世界。
終わりの空はきっと赤い色なのだと思った。
人類の流した血を反射した色――すべてがそれに染められているのだろう。

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