2-1. 現実世界 Without courage, all other virtues lose their meaning
高層ビルの会議室――カーテンウォールの向こうにもいくつかの高層ビルが見えた。
とはいえ、都心とは違って高層ビルがひしめき合っているわけではない。
市の中心街は駅から徒歩で約20分――宮城県仙台市――関東陥落に伴い、いまでは臨時首都と呼ばれている。
「――ではこれにて契約締結となります。皆さま本日はありがとうございました」
進行担当の言葉が終わると参加者たちはそぞろに席を立った。
雑談めいた挨拶――上席の役員たちは来客を見送るためにエレベーターホールへ向かった。
残された実務担当者たち――俺もそのひとり――ノートPCを畳んで、凝り固まった体を解した。
「相手の大将、いい男でしたね。――あれは女が離さんでしょ」
話題に上げた男とは主賓――光菱重工の執行役員のことだ。
光菱グループは日本人なら誰もが知っているであろう財閥系企業だ。
戦術機開発から再生医療まで――グループが手掛けている産業は多岐に渡り、その中核ともいえるのが光菱重工であった。
今日の主賓はその執行役員だった。
俳優と疑いたくなるほど端正な顔面とスタイル――物腰は丁寧であり論旨は明快。
年齢不詳だが、傑物という単語が似合う男だった。
「あの男に艶っぽい愛人が山ほどいても驚きませんよ、俺は――」
話しやすくはあったが、会議が終わってみれば何とも言いようのない劣等感を他人に抱かせる男だったと思う。
「あの方は旧華族だぞ。バカな話をしてるとお庭番に絞められるぞ」
たいして面白くもない冗句で本部長が返してきた。
そういえば、本部長は時代劇愛好家だったと思い出す。
「マジですか? でも確かにそういう雰囲気ありますね。育ちが良いというより隙がない。お侍さんの家系って感じっすね」
「受けてる教育が違うんだろ。まぁ、そういう御仁だ。おまえが行方不明になっても私は探さんよ」
「そんなに厳しい相手なんですか? マジで?」
「中東の王族や米国の超巨大外資とも張り合ってるって話だ。あの方の屋敷には警官が駐在してるらしい。――格が違うよ、我々庶民とは」
俺は名刺ケースの中から貰ったばかりの男の名刺を取り出した。
「斑鳩……下の名前、たかつぐですか、これ?」
「それで合ってるよ。――例の名刺コレクションとやらに加えるのかね?」
「そのつもりです」
俺には出世してわかったことがあった。
日本の社会はいまだに封建制時代の流れを引き継いでいる。
華族や名家の出自を誇る政治家や企業家の数は実に多く、大企業の役員の息子と別グループの役員の娘の見合い結婚などもザラにあるという。
上流階級は血縁で結ばれている。
つい先日、俺も参加させられた御曹司の結婚は、実は薩摩と長州の縁組だったと会場で耳にした。
幕末に肩を並べて戦った家同士の結婚と聞いて、俺は思わずひっくり返った。
そして、これこそ社会の縮図だと思った。
王族、貴族は世間から見えなくなっただけで、いまだに大衆を支配している。
資本主義とは資本家至上主義というもので、あの斑鳩という男も上流階級の一員なのだろう。
シンプルではあるが上質なデザインの名刺を眺めながら、俺の上流階級名刺コレクションの中でも最上位だなと考えていた。
斑鳩という苗字は大昔の貴族にあったな――たしか天皇家にも近かったはずだ。
「まさにシルバースプーンって奴ですね。一生涯、食うのには困らない生まれって奴ですよ」
西洋の伝承か何かだったと思う――銀の匙は貴族の象徴であり、今ではその子が一生涯、食うに困らないようにという願いを込めて出産祝いに贈るらしい。
俺は割り箸でも咥えて生まれてきたようなものだしな――自虐に内心で笑う。
社会に於いて出自にどれだけのアドバンテージがあるのか――学生時代には気づきもしなかった。
「銀の匙か……。あれは銀食器がヒ素と反応するので毒殺を見破るのに適していたという話もあるな」
本部長が微妙な表情を浮かべて言った。
「あー……ナポレオンでしたっけ?」
「彼も毒殺が疑われている人物だな。いずれにせよ、彼の御仁も楽だけして生きてきたわけではあるまいよ」
「そんなもんですかねぇ……」
王侯貴族の殺し合い――ドラマや映画ではよくある話だ。
俺の任地先も氏族社会の気配が強く残っており、親類身内同士の脚の引っ張り合いは珍しい話ではない。
であれば、彼の御仁も似たような社会で生きてきた可能性はある。
そんな立場であれば財閥系企業の中で出世していくのも、流れのひとつなのであろう。
氏族同士で結ばれて縁を作ることによって己の重要性を増していく――万が一にでも自分の身に何かあった場合、多方面に重大な影響がでるようにして己の安全を確保する。
それはそれで貧乏に耐えながら生きていくのとは違った辛さがあるのかもしれない。
「しかし……年間60機の生産か。ラインを大きく変更しないと無理だな」
俺が生産管理を担当している弊社のインドネシア工場では昨年20機の戦術機を生産した。
光菱重工から技術供与を受けた上でのOEMだった。
品質確認は厳しかったが何とかクリアした――その結果、今回の契約で生産を大幅に拡大することになった。
「もう契約は結ばれたんだ。やるしかないとわかってるだろ。――挙国一致体制だよ。政府が金に糸目は付けないと言っている」
やれやれと本部長はため息を吐いた。
「まさか自分が戦争状態を体験するとは思ってなかったんですがねぇ……」
異星起源種の侵攻を受けた日本はヤバいことになっている。
九州はすでに全島が陥落し、佐渡島と横浜に作られた敵の拠点によって日本は東西に分断された。
麻雀なら三軒立直の状態だ――ベタ降りしたい所だが、現実は麻雀のように簡単に降りることはできない。
そして降りられないなら、戦うしかないのだ。
「死ぬ気でやりますよ。うちの嫁の実家を取り戻さないとまずいんですよ。このままじゃ3LDKで四世帯同居になっちまうんです。それだけは避けたい」
「そいつは難儀だな。せいぜい頑張ってくれ。――で、現地にはいつ戻るのかね?」
「三時間後の便です。仙台は空港まで遠くて嫌になりますね」
それからも長いんだよなと嫌気が差す――光線級の照射を避けるために迂回路を取らざるを得ないのだ。
「なんだ、家族には会っていかないのか?」
「空港ラウンジで飯だけでもって話になってます」
本来、現地責任者の自分は会議への出席予定はなかったが、家族に会うために強引にねじ込んだのだ。
その結果が10時間に満たない日本滞在となる。
「そうか……。すまんな」
「いいえ、いまは若い者が踏ん張らんとですよ」
「若い、か……。そういえば、いくつになった、おまえ――」
「今年で四十三です。懐かしいですね。新入社員研修で主任にしごかれたのは二十年前ですよ」
「ははは、あの時のクソ生意気なガキがインドネシア工場の責任者だからな。私も年を取ったものだ」
この人には鍛えられた――新人研修が終わると、そのままこの人の下に配属された。
社会人としての礼儀や配慮――対象客を落とすための計画の組み方と内部を確実に働かせるための手法。
俺の社会人としてのスキルの基礎は全部この人から教わった。
「無理を押し付けてすまないな……」
本部長にしては珍しく弱気な態度――会議では調整役を務めていたため、精神的に疲れているようだった。
それが少しだけ寂しい――だから仕掛けることにした。
「もう耄碌したんですか? さすがに少し早くないですかね?」
「……ったく、おまえときたら」
ふたりで顔を合わせて笑った。
無茶な数字をクリアしてきたからこそ、俺はいまの立場にある。
「ま、本社のお偉いさんと取引先を呪いながら仕事するのも楽しいもんですよ」
工場レイアウトの変更案、従業員の新規確保――脳みそがインドネシアへと飛んでいく。
「うちは光菱から技術供与されてでかくなった会社だからな。上も強くはでれないようだ」
2000年代初頭より光菱グループは多くの分野に渡って産業技術を革新した。
彼らが開発したスーパーカーボンや電磁伸縮炭素帯は産業界の新しい基礎技術と呼ばれ、いまではあらゆる分野で活用されている。
無論、それらの技術は戦術歩行戦闘機にも使用されている。
以前から光菱重工は国防隊に喰い込んでいたが、いまでは兵器の生産だけでなく、民間軍事会社をも支配下に入れている。
光菱は軍需産業の筆頭――そして我が社はそのお零れで生きている。
「そういえば昨年ロールアウトした機体は次の作戦にすべて投入されるそうだ。国防隊の幹部が漏らした」
「……何機戻ってきますかね? そもそもどこのハイヴを攻略するつもりなんだか……」
「個人的には九州だと考えているが横浜の可能性も噂されているな」
「横浜じゃないんですか? 早く関東を取り戻さないと日本が終わりますよ?」
首都圏を占領された段階で、日本は国家として半分以上終わってると俺は考えていた。
そもそも首都を失って挽回した国家があるのか?
フランス?――いや、あれは連合国が取り戻したのであって独力で取り返したわけではない。
「そうだな。早く国を再建しないとな。……その責任が我々大人にはある」
本部長の意見には同意だった。
責任はいまの社会を支えている大人たちにある。
なぜなら大人しか社会は動かせないのだから――。
本音を言えば俺は家族をインドネシアに呼び寄せることを考えたことがあった。
最悪、本社が潰れたとしても、俺は現地で生きていける自信があった。
だが複数の介護老人を抱えたまま、外国で生活するのは難しいと妻は考えて日本残留を希望した。
親戚付き合いからは逃げられないし、海外でずっと貴族生活ができるほどの収入はないでしょ、と――結婚前から変わらず、妻は俺より地に足が付いている。
そして子どもたちも友達のいる日本がいいと言っていた。
だから俺は家族連れでの海外赴任を諦めた。
それにインドネシアにしたって安全というわけでもない――BETAの侵攻は東南アジアでも続いている。
真面目に考えれば自殺したくなる状況であったが、そう簡単に死ぬわけにはいかない。
俺には娘と息子がいるのだ。
少なくとも子どもたちが成人するまでは、日本という社会を維持しなければならない。
それが少し前に生まれた人間の義務だと俺は思っている。
無論、BETAとの戦争を勝利で終わらせることができるならそうしたいが、そこまで楽観的に物事を考えることが俺にはできなかった。
俺に逃げ場はない。
件の華族であれば国際機関に高位の立場で出向することも可能だろう。
それに自分と違って家族の安全も保証できるはずだ。
上流階級という組織は外国ともつながっており、俺には理解できない連携を取ってお互いの安全を確保している。
結局、俺と彼とでは立ち位置が違う。
羨ましく感じようが、仕事で一緒になろうが、俺は彼の御仁には成れないし、彼の御仁も俺を理解しようとは考えないだろう。
ただ、その場に居合わせただけの関係だ。
あんたの苦労なんて理解してやらねぇよ――腕を回して強張った体を解しながらそう考えた。
だが――俺にできることは少ないが、俺にしかできないこともある。
「では、またな。――しっかりやれよ」
「――はい、本部長もお元気で」
にやりと笑みを浮かべ、俺たちは別れた。
この人の直属配下から外れて十年――それでも自分たちの間には信頼関係が残っているし、おそらくそれが変わることはないだろう。
だから、それはいつもの別れの儀式でしかないのだ。