1-9. 現実世界 門へ
視線操作で項目を選択――網膜に地図が照射される。
現在地は茨城県つくば市の北辺のはずだが、自機を示すマーカーの位置が安定しない――重金属雲の影響が残っていてGPSがおかしくなっているのだろう。
筑波山か――子供の頃、家族で登山したことがある。
まだ安全で、怪物の襲撃を受けるなど考えなかった頃の話だ。
両親と兄たち――幼くて体力のなかった自分のリュックサックを途中から父が代わりに持ってくれた。
家族と出掛けるのは楽しかったが、兄に揶揄われて泣いてしまったことを覚えている――機嫌を直してくれと兄がソフトクリームを買ってくれたのも。
あいにくと天気はそれほど良くなかったが、その時の家族写真は実家のアルバムに貼ってあり、正月に家族で見返すのが恒例になっていた。
だが、ここしばらくの間、家族の顔を見ていない。
関東放棄後、東北へ無事に疎開できたのは確認できた――それだけだ。
この作戦が終わったら休暇を取れないだろうか――両親がいるであろう難民キャンプは特定している。
だがそれも休みが取れるかどうかが問題だ――いずれにせよ、もう数キロも前進すれば関東平野に入る――ここからが大事な局面だ。
電子音――無線の呼び出しを受けて地図を消す。
通信ウィンドウに映った中隊長が軽く頷いたように見えた。
『――傭兵たちと情報のすり合わせを行う。東雲も参加してくれ。向こうと数を合わせたい』
「――了解。秘匿回線ですか?」
『――あぁ、部下たちにはまだ聞かせたくない。貴様も余計なことは話さないように注意してくれ』
そこまで警戒しなくてはいけないものか――小さな違和感――敵は異星起源種であり、傭兵たちは味方ではあるはず。
「わかりました。注意しておきます」
米軍や傭兵に頼らず、日本国の安全は国防隊が担うべきという考えを抱く国防官は多い。
それはそれで当然の感情なのかもしれないと東雲は思う――だが、それで本当にこの国を守れるのかは疑問だった。
呼び出しの電子音――受信を選択すると更に二枚の通信ウィンドウが表示された。
二十代半ばに見える女と、もう少し若く見える男――男の顔には見覚えがある――多分、横浜で一緒に戦った人だ。
特徴がないのが特徴といった雰囲気の男――どうやら、こちらのことは覚えていないようで表情に変化は見受けられなかった。
瞬間、礼を言わなくてはと思ったが何とか自制した。
戦いは終わっていない――向こうが何も言わないのであれば、こちらも黙るべきだろう。
『――ヴァルキリー1より0901。こちらでも確認いたしました。中隊長の仰るとおりの状況ですね。あれはおそらく『門』でしょう』
ヴァルキリー1と名乗った女性――発音から生粋の日本人だと判断。
落ち着いていて、いかにも場馴れしている様子だ。
『――やはりそうか……。では関東圏の地下はすでに奴らの巣が……』
中隊長の言葉に胸がきゅっと痛む――発見されたのは『門』で間違いなかった。
「もう東京は……」
取り戻せないかもしれない――思わず言葉が漏れた。
国防隊の仙台基地では人工衛星の画像情報が定期的に更新されており、関東が崩壊していく様子を認識することができた。
ランドマークとなる建物がなくなっていき、個人的な思い入れのある場所が破壊されていく――その様子を眺めることしかできなかった。
そして今――地下茎が北関東まで延伸していることが判明した。
BETAの巣であり、基地であるハイヴ――その地下には蟻の巣のような地下茎が広がっている。
地下茎が関東一円に蔓延しているのであれば、都心の地下インフラはすでに壊滅的だと考えていい。
上下水道、地下鉄、その他――それらを再整備し、再び人類が関東圏で生活できるようにするためには、どれだけの労力と時間が掛かるのか――東雲は絶望的な気分になった。
『――0902、その判断は早計かと思われます。これは異常事態です』
早計――何か見落としているのだろうか――はっとして通信ウィンドウのヴァルキリー1を注視する。
『――どういう意味だ、ヴァルキリー1』
中隊長の言葉には動揺と猜疑心――そしてほんの微かな期待が混じっているようだった。
『――地下茎がここまで延びているのであれば、ハイヴはフェイズ7に到達していないとおかしいのです。ですが、観測された最新の横浜ハイヴの地表構造物の大きさはフェイズ3サイズです。で、あれば何かがおかしい。過去のデータでは、そんな現象は起きていませんから。つまり――我々の知らない現象が起きていると考えられます』
歴戦の傭兵たちが知らない現象――小さな驚き。
『――ヴァルキリー1、貴官は何が起きていると考えているんだ?』
『――いくつか予想はできますが、それはあくまでも根拠のない推論になります。ここで私見を披露した場合、誤情報を流したと後で説教されるかもしれません』
ヴァルキリー1の小さな笑みはユーモアなのか皮肉なのか――直感的に判断できるだけの精神的余裕はなかった。
『門』の発見は想定外――本来であれば南下して首都圏近郊で間引きをすれば終わるはずだった。
命令が欲しかった――現場で判断するには責任が重すぎる。
何とかして司令部と連絡をつけるしかない。
東雲祉乃はそう結論づけた――その時だった。
『――ですので潜ってみようと思います』
「えっ……!?」
思わず息を呑む。
『――潜る……地下茎に突入するつもりか!?』
中隊長の声に緊張。
『――はい。地下茎に突入して情報を収集するべきだと考えています』
突入――緊張で体が固まった。
敵の巣である地下茎に潜る――生きて帰ることができるのか――反射的に思った。
中隊長の返事が遅れている――じっとこちらを観察している傭兵たち。
『――もし『門』に気づかぬまま東京に入っていたらと思うと恐ろしくなります』
唐突にヴァルキリー1が言った。
『――これを見落としたまま進攻していれば、この『門』から出現したBETAに後背を取られていたかもしれません。そうなれば脚の遅い火砲部隊は壊滅していたかもしれません。そういう意味で『門』の発見は中隊長の手柄と言っても差し支えないでしょう』
『――そ、そうか……』
『――こちらから提出する書類にも記載させて頂きます。それで――せっかくの発見です。こんな時こそ仕事は完璧に遂行したいものです。許可を頂けますか?』
『――……すまないが我々には地下茎突入の経験がない。突入シミュレーションも片手で数えられる程度しか経験していない』
中隊長の返答は国防隊が民間軍事会社より未熟であると認めるものだった――握りしめた操縦桿が軋む。
戦術機は新しい兵器であり、その運用方法は確立しているとは言い難い。
本来の運用目的がハイヴの地下深くに鎮座する反応炉の制圧だとしても、実際には地上での戦闘が主目的となっている。
そのためシミュレーターによる演習も地上戦を主としており、地下茎突入訓練はほとんど行われていない。
東雲自身も地下茎突入のプログラムの経験は二度だけ――地上戦と違った意味での難しさがあったと記憶している。
蟻の巣のような地下茎は曲がりくねっていて視界が利かず、内壁を構成する特殊な成分によって電波が乱され、長距離通信が成立しない。
その上、天井からBETAが降り注ぎ、隠し通路から奇襲を受ける。
要は敵城に侵入するのと同じだ――不利な状況での戦闘を強いられることになる。
本当の戦場がこうだったら自分たちは確実に戦死する――同僚に愚痴った思い出。
『――わかりました。では突入は我々のみで行います』
ヴァルキリー1の返事には隠しきれない失望感が混じっていた。
『――しかし……』
『――ご安心を。このまま横浜まで、とは考えていません。あくまでも偵察です。撤退を前提にした強行偵察です』
ヴァルキリー1は再びふっと笑った。
それほど難しい仕事とは考えていないのだろうか――。
なぜここまで技量の差があるのだろう――自分たちが受けてきた訓練が温かったわけではない。
日々くたくたになるまで実機で演習し、シミュレーター演習で追い込み、座学で知識を詰め込んだ――だが、それでも傭兵たちの技量には追いついていない。
『――地下茎内で入手した情報はすべて提供します。それで問題はないはずですが?』
『――わかっている……。だが、それでは……』
イモータルズが入手した情報はすべて国防隊に共有するという取り決めがある。
その契約が本当に履行されるかは不明――中隊長の歯切れが悪いのはそれを気にしているせいだろう。
今の時代、映像を加工することは難しい話ではない――提出されたデータが本物かどうか、国防隊には見極めることは不可能だ。
『――では我々イモータルズが前衛を務め、後衛を国防隊に担っていただくというのはどうでしょうか?』
ヴァルキリー1の再提案――安全は確保してやるから後ろから付いてこい――翻訳すればそんな感じだろう。
握り締めた操縦桿が軋む。
国防隊は日本国を防衛するために設けられた組織ではあるが、第二次世界大戦敗戦の影響から、ある種の制限が掛けられている。
そのため国内の過激な右派勢力からは米軍の使いっ走りと揶揄され、国内左派勢力からは無駄金使い、戦争ごっこで遊ぶ人殺し集団などと罵倒されていた。
だが、ある政治家は言った。
国防隊が日陰者である時こそ、日本が平和である証である。
だから、どうかそれを汲んで耐えて欲しい。
発言した政治家は日本国首相を務めたこともある人物だった。
その薫陶を受け、先任たちは不満を零さずに修練を重ねてきた。
基地周辺に街宣車が訪れようとも、デモ隊が騒ごうとも淡々と与えられた任務をこなしていった。
積み重ねること数十年――実戦に参加することはなかったが、国防隊の実力は確かであると米軍からも評価されるようになった。
そして――出撃の時が到来した。
国民を襲った惨劇に胸を痛めながらも、人の役に立てる機会を得たという感触。
しかし、そんな充足感に溺れることができたのは、本当にわずかの間だけだった。
国防隊は異星起源種の圧倒的攻勢により、多くの兵員と装備を失ってしまった。
対人類戦争とは異なる戦争に対応できなかったのだ。
国民からの信頼を失った国防隊であったが、そこで終わるわけにはいかなかった。
終わってしまっては散っていった仲間たちに合わせる顔がない。
国民を守護するという大義名分を信じ、文字通り命懸けで任務に努めた戦友たち――彼らの笑顔は脳裏に焼き付いている。
届かないものは届かない。
何らかの変化が必要だった。
再び国民からの信を得るため、異星起源種との戦争に対応するため、国防隊はイモータルズの指導を受け入れることにした。
得体のしれない民間企業に教育される屈辱――だが、国防隊隊員は屈辱に耐えることには慣れていた。
プライドをズタズタにされながらも、組織を再編して新兵器を全面的に導入――自分が衛士になれたのは、その流れに乗ったからだ。
止めていた息を吐き出す。
緊張していた掌の力を抜く――落ち着けと心の中で繰り返して周囲の様子を観察した。
味方部隊は近くにはいないようだ――砲声もなく戦闘の気配は感じられない。
言うなれば、自分たちは獲物を追って狩人から離れてしまった猟犬のようなもの――本来であれば狩人と合流すべきなのだ。
本部との通信ができない状態で即断を強制されるのは、本来ならばあってはならないことだ。
しかし――中隊長は決断を迫られている。
自分のような若い人間でも苛立つ状況なのだ。
国防隊に人生を捧げてきた中隊長がどう感じているのか――それが少し怖くもあった。
小心で真面目――常に安全性に気を配り、隙のない行動を心がける人――それが東雲の中隊長評だ。
イモータルズへの警戒心があるのは知っているが、他の上官と比べて特出しているわけではない。
むしろ、横浜での作戦以後は傭兵たちへの態度に軟化の気配も見せていたと思う。
沈黙――中隊長は何も言わない――唇を噛みしめるようにしている。
突入すれば生還は望めない――そう考えているのだと思う。
そして、それを口にすることができない理由も東雲祉乃にはわかってしまっていた。
我々は傭兵たちに及ばない。
傭兵たちなら生還が望めても国防隊では全滅もあり得る。
だから中隊長は答えを躊躇っているのだろう。
いつから国防隊は体面を第一に考えるようになってしまったのだろう。
相手が胡散臭い民間軍事会社だからといって、そこまで虚勢を張る意味があるのか。
どれだけ望んでも不可能は不可能だ。
自分たちより明らかに技量が上の存在に、プライドを捨てて素直に教えを乞う――方針はそう定められたはずなのに。
『――基本的に我々は独断で動けません。国防隊が同道している場合は万事相談……中隊長の許可が必要になります』
イモータルズに課せられた軛――雇い主は日本政府。
『――それはわかっている……』
力なく吐き出される言葉――まるで軍人らしくない煮え切らない態度。
何を提案しても拒絶される――ヴァルキリー1の表情に諦めに近い感情が浮かんだ。
その顔に心が点火される。
何か言わなくてはいけない――自分が通信に参加したのには意味があるはず。
だが何を言えばいい――らしくないと中隊長を非難するべきか。
あり得ない――他軍の前で上官を否定などできようもない。
その瞬間、ふと思い出した――今日、中隊長はふたりの部下を亡くしている。
「あ……」
息が漏れた。
森下と沼田――特別に親しいわけではなかったが嫌いでもなかった。
どこにでもいる、普通の兵隊だった。
だからこそ、中隊長に更なる決断などできるはずがない――そう思った。
『――何か?』
漏らした吐息を何かを言い掛けて止めたと勘違いしたのだろうか――通信ウィンドウのヴァルキリー1が発言を促してきた。
「じ、自分が同行します!」
考えるより先に言葉が出た。
「イモータルズに私が同行します! そうすれば地下茎突入は国防隊の監視下での作戦行動となります!」
中隊長の顔は見ず、ヴァルキリー1に集中する。
「本来であれば司令部の指示を待つべきですが、そうもいかない状況だと推測します。そ、それに地下茎内の調査をしたいという考えもわかります。だから……」
何かがパタパタとつながっていく感覚。
『――東雲!』
「私が……小官が同行いたします!」
中隊長の呼びかけを無視して続けた。
「自分は中隊最優の衛士だと評価されています。イモータルズに同行できるだけの技術はあると自負しています」
国防隊の練度は足りていない――衛士ひとりを育てるためには莫大な時間と資金が必要であり、イモータルズと同じことはできない。
だが自分ならば――できる――できるはずだ。
「自分に任せてください。自分なら可能です!」
握り締めた操縦桿が軋む。
『――ヴァルキリー1より0901。彼女はああ言っていますが?』
沈黙――中隊長が唇を噛み締めている。
「やらせてください、中隊長。――やってみたいのです。やれる自信はあります」
幸いと言っていいかどうかわからないが、自分には伴侶もいない。
自分が死んだら家族は悲しむと思うが、その覚悟はできている家族だ。
兄たちも国防隊ではないが市民に奉仕する職に就いている。
自分はそういう一族の生まれなのだ。
『――……駄目だ、隊員一名だけの派遣はできない。貴様を出すのであれば、もう一名必要に――』
「――私と組める衛士は中隊にはいませんよ」
この中隊で全開の私についてこれる衛士はいない。
強いて言えば中隊長なら付いてこれるかもしれないが、いまの精神状態の彼には無理だ。
「イモータルズに同行するのです。1機でも問題はないでしょう」
『――……それでは誰が貴様を援護するのだ?』
BETAの群れに飛び込んで戦うという戦術機運用の特性上、僚機との連携によって死角を消すのは定石であった。
「じ、自分なら何とか……ギリギリ戦えるかと……」
無念ではあるが自分の技量では傭兵たちに守って貰う形になってしまうだろう。
そこまで自分を過信することはできない――だが、それでも手を拱いているわけにはいかなかった。
中隊長は答えない。
悩んでいるのだろう――このまま何もしないで後続が合流してくれるのを待つか、ひとりの部下を傭兵たちに同行させるべきか。
『――あの……提案があるのですが……』
おずおずと若い男が口を開いた――通信には参加していたがずっと黙っていた男だ。
ネームタグにはパペットマスターと表記されている。
人形操者、もしくは人形の支配者?――ヴァルキリー1という表示を見た時から思っていたが、イモータルズという組織は少年漫画的な命名を好んでいるのではないか?
パペットマスターが続けた。
『――地下茎内を警戒するのは理解できます。我々もかなりのリスクを取ることになります。ですから万が一を考えた場合、中隊全機を突入させるのは部隊マネジメントとしての判断が難しいと思われます。とはいえ、民間軍事会社を監督しなければならない国防隊の立場もわかりますし、この拠点も確保しなければならない。そこで提案なのですが……』
パペットマスターが一呼吸を入れた。
『――観戦武官という形で国防隊から1機派遣いただけないでしょうか?』
この人は言葉を選んでいる――そう感じた。
『――戦闘に参加して貰うという形ではなく、あくまでも観戦武官――我々が責任を持って護衛いたします。その上で見て学んだことを国防隊にお伝えしていただければと……』
ヴァルキリー1がパペットマスターの言葉を続けた。
『――観戦武官の場合、戦闘して貰う必要はありません。我々がどう戦うのかを今後の戦技研究の材料にしていただくことになります』
その言葉で答えは決まった。