1-7. 現実世界 戦闘作法

東雲 祉乃

紙ヤスリでガリガリと何かを削るような音――ヘッドセットを軽く叩いてみるが、その音に変化はない。
少しだけイラッとする――通信機の性能は供与された新技術によって昔と比べて格段に向上しているはずなのに、この体たらくはナニ?
「――もう一度、お願いします。こちら0902、次の指示を乞う。雑音が酷く、聞き取れていない」
『――……ッ……――、……――、……、…………は、………………――』
再び耳障りの悪い雑音――激しいノイズの向こう側で何か話しているのは確実だが、やはり聞き取ることはできなかった。
「駄目だな、これ……」
曇天を見上げる――周囲は煤のような薄い黒霧に覆われている――金属粒子がきらりと小さく光を反射した。
どう考えても過剰散布だよね――閉じた目蓋を軽く揉む――大気中の重金属粒子の影響で通信性能が落ちてしまっているため、新たな命令を受け取れない状態になってしまっていた。
15分ほど前に茨城県、埼玉県、栃木県の十一箇所で合計四十数体の光線レーザー級がほぼ同時に発見された。
間の悪いことにイモータルズは洋上にて補給中であり、数時間ではあるが国防隊は単独でこの事態に対応しなければならない状態だった。
だが――逆説的に考えれば、この事態を国防隊の戦力のみで打破できれば、それは大きな経験と自信に繋がる――国防隊司令部はそう判断した。
そしてイモータルズの戦場復帰を待たず、国防隊のみで十一箇所のBETA群に一斉攻撃を仕掛けるという作戦を立案した。
当然、作戦は安全性が考慮され、何らかの微細な抜けもないように参謀たちが検討を繰り返した。
その結果、国防隊司令部は敵群が広範囲に展開していることから、イモータルズから寄贈されたマニュアルに記載された3倍の対レーザー弾頭弾を一斉投入することを決定――作戦は実行された。
十一箇所の光線レーザー級はすべて撃破された――だが過剰に発生した重金属雲の影響で通信は困難となり、各戦術機部隊は戦場で孤立してしまっていた。
指揮所との通信は諦めるしかない――重要な伝達事項があれば向こうが何とかしてくれるはず――。
『――ここまで聞こえなくなるもんなんですね、重金属雲って……。話には聞いてましたけど本当に近接通信以外、駄目じゃないですか』
僚機からだった――私が指揮所との通信を諦めたと察して話しかけてきたのだろう。
『――大丈夫ですかね? 重金属って環境に悪いって話ですし、味方と連携取れなくなるのは良くないですよね……』
光線レーザー級の光線レーザー照射の威力を軽減するため、AL弾を使用して重金属雲を戦場に発生させる――戦闘マニュアルにはそう記述されている。
光線レーザー照射のエネルギーを大気中の重金属雲で減衰させるという防御兵器ではあるが、人体に悪影響を与える重金属粒子をバラ撒くという側面がある。
不意に中学時代の教科書を思い出す――重金属の摂取を原因とする公害病――テスト対策で暗記した思い出。
これらの有害物質は含まれていないという説明はあったが、重金属雲を展開する作戦に参加した兵士たちには身体検査と重金属の体外排出を促す亜鉛の摂取が義務付けられているのが現状だ――だからどこまで正しい情報なのか、怪しくは思っていた。
『――いや、これくらいやって貰わないと。いきなり狙撃されて蒸発するってのは嫌だぜ、俺。光線レーザー照射はヤバい。戦術機が溶けるとか蒸発するとか意味わからん』
『――そうだな、有線通信網を拡大すれば大きな問題はないだろうし、そうなれば死ぬ死なないの方が問題だ。気づかないうちに全員蒸発とか洒落にならない』
『――蒸発の方がマシでしょ。喰われるとか、ゾンビ映画じゃないんだから』
『――重金属って吸入しても一回や二回だったら大丈夫みたいな噂、聞きましたけど本当なんですかね? 下痢だけで済むって』
次々と部下たちが喋りだす――その愚痴を聞き流しながら、これからどうしたらいいのかを考える。
国防隊の基本戦術は単純で、監視衛星がBETA集団を発見――斥候として動く戦術機部隊が現地にて確認――旧東北自動車道を南下する火砲部隊が面制圧砲撃――残敵を戦術機部隊で掃討――この繰り返しである。
これまでの4時間で3つの小集団を発見、撃破した――作戦は順調に進行しており、数体ではあったが光線レーザー級の撃破にも成功した。
このまま埼玉を経由して東京に進出することも可能だと感じていた――だが重金属雲の過剰散布で流れが変わってしまった気がしていた。
コンソールを叩いて味方機たちのステータスを呼び出す――幸いにも推進剤も砲弾もまだ余裕がある。
重金属雲の濃度がこれから上がらないと仮定するならば、通信の回復も期待できるはず――これだけ通信が混乱しているのであれば、同じミスは繰り返さないだろうと推論。
索敵殲滅を継続するべきか、通信可能域まで後退すべきか――決めかねているのは自分の経験が少ないせいなのだろう。
それにしても指揮所はともかく、比較的に近場で展開しているはずの中隊長の部隊とも連絡が取れなくなるとは――。
『――イモータルズの連中だったら、もっと上手くやるんだろうな……』
誰の呟きなのかはわからなかったが発言内容には賛成だった。
『――だからといって工業製品どもに使われるのはな……』
『――工業? あぁ例の……あれマジなのか?』
なんの話だろうか。
『――知らねぇ。けどマジだったらマジでムカつく。こっちは人間様だぞ? なんで命令されなきゃならない?』
思い至った――イモータルズに関する噂。
不死者――彼らは死ぬことがないという噂――あるいは、それがために日本政府は怪しげな民間軍事会社と契約したとも。
イモータルズの親会社は再生医療分野では世界最高峰と謳われている。
世界各地の戦場へ医療団を派遣し、手足を失った兵士を、あるいは内臓が吹き飛ばされ瀕死の兵士たちの生命を救ってきた。
その緊急救命技術は世界中で称賛され、米軍と契約を結ぶに至った。
そして国防隊もそれに続いた。
それからの変化は大きかった。
訓練中の事故で脊髄を損傷し、下半身不随になった兵士が半年後には復帰した。
それどころか、その男は精進してレンジャーの資格を得た――そんな情報が基地内に流れたこともあった。
東雲しののめの知り合いでも同じようなことがあった。
野戦訓練中に藪にて眼球を負傷し、視力を落とした知り合いは手術を受け、視力を回復した。
瞳の色が黒から青に変わってしまったが、視力自体は以前よりよくなったと、その男は言っていた。
「……戯言はそこまで。気を抜いてると死ぬよ」
部下たちの雑談を止める。
彼らの気持ちは理解できる。
イモータルズの再生医療技術は素晴らしいが、便利過ぎて疑いたくなるのだ。
だから根も葉もない噂が流れることになる。
自分たちは死んでも戦わさせられるんじゃないか――腕がなくなっても、脊髄が折れても、眼球が潰れても治るのであれば、それくらいは可能だろう。
あいつらが強いのは死なないからだ――死んでも復活して、また戦い続ける戦闘狂だからだ。
工場で生産され、壊れる度に修理される戦闘人形――それがイモータルズの連中だ。
無論、そんな噂を信じているわけではない。
確かに肉体のパーツが欠損しても、問題なく活動できるまで医療技術は進化しているのは現実だ。
だが、生命活動が停止してしまえば、その後に肉体を修繕しても無意味だ。
脳の機能が不可逆的に停止してしまえば何をしようとも人は戻ってこれない。
「――各機、機体距離を300に設定。方陣構成後に再度索敵」
強い息を短く吐き出し両頬を叩く――いつまでも後ろ向きに考えていても仕方がない――もう一度周辺索敵して、それから行動方針の再検討をしよう。
本隊と連絡が取れないこと、過剰な重金属雲――不安が部下の精神を侵食しつつある。
『――0901より0902。東雲しののめ二尉、聞こえるか?』
小さな電子音の後、無線がつながる――中隊長からだった。
「――こちら0902東雲しののめ、聞こえています!」
慌てて応答――再び通信が途切れることへの不安。
良かった――それほど親しいわけでもないのに強烈な安堵の感情が湧き上がる。
「――東雲しののめ小隊に損害なし。全機健在です」
間があった。
『――そうか、それは何よりだ』
中隊長の言葉が硬い。
『――こちらは2機失った。森下と沼田がやられた』
驚愕――恐怖は巨大な喪失感に――同じ釜の飯を食った仲間の死。
「そんな……」
『――東雲しののめ、CPと通信は可能か?』
「い、いえ……断絶しています」
やはりそうか――中隊長が呟いた。
『――残弾はどの程度、残っている?』
「小規模集団なら複数撃破できるだけの数は残っています」
無線のノイズが不安を煽る。
『――座標を送る。こちらと合流してくれ』
「――は、はい。ですが……」
中隊長の言動から感じる焦燥感と諦観。
『――BETAどもが地中から出現する場所を特定した。おそらく「ゲート」だ』
それはまるで呪いの言葉だった。
「中隊長、それは――」
言葉が詰まる――質問を続けるのを躊躇う。
『――そうだ、貴様が懸念しているとおりだと俺も思っている』
関東北部での『ゲート』の発見――それが意味するのはひとつ――東京の、いや関東の地下はすでにBETAどもの巣と化している可能性が高い。

神宮司 まりも

デウカリオンのCICは静かだった。
オペレーターたちの事務的会話だけが淡々と更新されていく――国防隊は各所でBETAと交戦していたが、イモータルズの戦術機部隊とはまだ合流できていない。
「重金属雲濃度、依然高水準を保っています」
神宮司じんぐうじはピアティフの報告を受けて関東広域図を拡大――そこには天気図のように重金属雲の展開具合が表示されていた。
これほど広範囲に重金属雲が散布されているのは見たことがなかった――あの戦乱の世界でも、だ。
「こちらの意見を聞き入れるつもりはないか……」
「そのようですね。おそらく数千億円単位のAL弾が投入されているかと……」
ピアティフの呟くような相槌。
光線レーザー級の脅威を訴え過ぎたな。山脈を抑えられているとはいえ、過剰に反応しすぎている……」
当初、国防隊は光線レーザー級の照射能力を低く見積もっていた――神宮司じんぐうじは国防隊の上級幹部に光線レーザー級の危険性についてレクチャーした日を思い出していた。
あれはもう何年も前の話だ――市ヶ谷の防衛省ビル――構造自体は普通のビルと変わらない。
それほど広くない会議室に集った20人ほどの男たち――国防隊の幹部たちは意志の強い顔をしていたが、同時に傭兵に教えを請うという状況に納得していないようにも見えた。
国家守護を任じられた軍人が、なぜ怪しげな傭兵組織に教えを受けなければならないのか――訓練によって磨かれた自尊心。
イモータルズがどのような存在であるかの事前説明は受けているようであったが、その説明自体にも胡散臭さを感じているようであり、瞳に猜疑心を滲ませていた。
ハイヴという巨大な構造物が突然出現した現実は、事実として受け止めている――だが、ハイヴの中で人類と敵対する異星起源種が生産されていることに対しては半信半疑だった。
「現代の地球の重力下で戦車と対抗できるだけの生物が存在できるわけがない。仮に巨大化したとしても海中にしか存在できないはずだ」
頭の切れそうな若い将校が手を上げて言ったのをよく覚えている。
軍人は現実主義者であるべきで、貴様たちのような怪しげな人間の持ち込む話は信じるに値しない――その傲慢な若さは癇に障った。
「貴方はBETAという存在自体を疑っているのですか?」
「その異星起源種とやらの死骸の供出でもあれば別ですが、そういった物をイモータルズはお持ちではないのですか?」
挑発している――そう感じたのは間違いではないだろう。
「現在、イモータルズは異星起源種の死骸を確保していません」
質問を受け流し、配布した資料の説明を行った――だが反応は鈍かった。
数10トンを超えるであろう巨体が170キロで走るのですか――軽戦車クラスの化け物が数千、数万の群れを形成とは何かの冗談では――生物が発する光線レーザー照射の熱量がそこまで高いはずはない――ましてや大気による減衰を考慮すれば――映像資料を流してさえも、国防隊幹部たちは自分の言葉を受け止めようとしてくれなかった。
そしてアドバイザーの立場でレクチャーに参加した財務省官僚にも問題があった。
現状で戦術機開発に多額の資金を投入している以上、防衛兵器であるAL弾に資金は割けない――彼らはそう言った。
結局、イモータルズから要求した数字の三割りに満たない予算が組まれたと知ったのはレクチャーから2ヶ月ほど経ったあとだった。
「50年以上も戦争をしていなかった国だもの、予算感覚があるわけないでしょ」
香月こうづき夕呼ゆうこはそう言った。
そして――「金を出さない分、流血で支払うことになるわね」と呟いた。
その諦観は納得できると同時に忸怩たる思いを抱かせてくれた――他にできることがあったのではないだろうか――現実を知る自分には。
だが、その思いは届かなかった――佐渡島、横浜、小倉のハイヴから出現した異星起源種によって日本は大きな損傷を出すことになった。
その上で首都圏まで放棄せざるを得なかった――その屈辱に過剰に反応しているのが現在の日本だ。
「関東に戦術機部隊を入れる想定ですから、ここで戦術機部隊に損害を出したくないのでは……。そのためにAL弾を過剰に散布したのではないかと」
ピアティフが言い淀む。
衛士たちには伝えなかったが、この作戦にはBETAの間引き、関東の実態調査、国防隊の練度向上以外にも目的があった――それは九州の小倉ハイヴ奪還のための前哨戦ということだ。
関東、九州のBETA勢力に挟まれている関西はジリ貧状態であり、このままでは遠くない将来、陥落すると考えられていた。
その状況を打破するため、早急に小倉ハイヴを奪還して関西の生産力を回復するというのが、日本政府の大方針である。
小倉ハイヴ攻略戦は重金属雲の下で行われるのは間違いなく、今回の作戦は実戦演習という意味合いが強い。
電子音が鳴り、CICの電子扉が解錠――室内の全スタッフが立ち上がって敬礼。
その反応で神宮司じんぐうじは誰が入室したかを推測――案の定、視線を向けると白衣を纏った女性が自分に向かって歩いてきていた。
「いちいち敬礼させるのは止めてって言ったでしょ。――まりも、状況は?」
煩わしそうな顔をして香月こうづき夕呼ゆうこは言った。
「今のところ作戦は想定の範囲内です。我々の戦術機部隊は間もなく国防隊と合流」
「予定どおりね。こっちは最終確認が終わったから格納庫に向かわせたわ。しっかりしてたわ。皆、ああだと楽なんだけどね。――で、あいつは? 間抜けの状態は?」
あいつ――誰の話かはわかっている。
「問題は起きていません。周辺の衛士たちも落ち着いています」
「――そう。じゃあ、戻ってきたら計画を次の段階に進めるわ」
モニターの戦略図を眺めながら香月こうづきが呟いた。
「専務!! それは時期尚早なのではないでしょうか!? 彼はまだ復帰したばかりです。脳への影響だって――」
彼の扱いは慎重に――そう決めたはずだった。
「そんな悠長なことを言ってられない状況でしょ。それはあんたもわかってるはずよ。あっちが使えない以上、あいつを使うしかない」
「ですが――」
「――時間がない。それに損失は覚悟の上でしょ」
何も言い返せない――計画の責任者は香月こうづき専務であり、自分は現場監督に過ぎない。
「……個人的にもう少し猶予を与えてやりたいと考えています。最終的に上書きを検討するにしても……」
彼が懸命に足掻いていることは知っていた――何を失ったのかわからないまま、失ったものを再び手に入れようとする様は神宮司じんぐうじにとって同情できるものであった。
だからこそ、彼には時間を与えてやりたかった――だが同時にそれが自分の我儘だとも認識していた。
なぜなら香月こうづき夕呼ゆうこが急ぐ時は、それだけの理由があるということを何度も経験してきたのだから――。
「……実は出撃前にちょっと弄ったわよ」
「――ッ! ちょっと、ゆぅ……!」
嘘でしょ――思わず普段の口調が出掛けた。
「軽く刺激を与えてみただけだから」
「勝手は困ります! 事前に相談していただかないと……!」
計画の存在を知る者は少ないが、動きがあったとなれば説明は必ず求められる――追求は厳しく、それなりの覚悟を持って対応しなければならないのだ。
「前倒ししないと間に合わなくなるかもしれないのよ」
「……そう言われては、こちらから言うことは何もありませんね」
半ば捨て鉢で答えた――その対応を鼻で笑われる。
「そんなに拗ねないでよ。――まぁ、あとは連中が戦場から何を持ち帰ってくるのか。それを楽しみに待ちましょう」
眼の前の意地悪な女性――香月こうづき夕呼ゆうこは、そう言って微笑んだ。

LOADING...