1-3. 現実世界 取り戻すために
走る、ただただ走る――。
民間軍事会社の社員としての生活が再開――1日に最低6キロのランニングは衛士たちの体力維持のために推奨されていた。
広大なトレーニングルームに並べられたランニングマシーンの前にはTVモニターが設置されており、古い映画が流されている。
改造された一台の自動車が荒野を走っている――馬に乗ったネイティヴ・アメリカンの集団がそれを追いかけているようだ。
西部劇なのだろうか、それともコメディ映画なのだろうか――観たことがあるような、ないような感覚――意識が回復してから2週間以上経過したが、記憶はまだ戻っていない。
焦っても仕方がない――納得できる話ではないが、だが手の打ちようがないのも事実。
結局、記憶喪失以前のルーチンをこなして様子を見るという話に落ち着いていた。
「管理官、もう少し速くしようではないか」
ふいに左横から伸びてきた手が操作パネルを弄るとマシンの速度が上がった。
隣のランニングマシンで並走する千木良世――タンクトップにショートパンツ――視線の置き場に困る。
「走れ走れ、逃げるウサギの如く!」
よくわからない掛け声に苦笑――電子音と共にランニングマシーンのベルトの速度が上がっていく。
新造された両脚の筋肉は鍛える必要があった――切断面と新造脚のサイズが合うまで電気信号で刺激して育てた――そう聞かされていた両脚には傷跡ひとつ残っていない。
「ちなみに、その速度を2時間維持できたらマラソンの世界記録が狙える。ギリギリだけど」
嘘でしょ――この速度では5分も走れないだろうと思った――ダッシュに近い速度。
「頑張れ頑張れ。先にギブアップした方がおやつを馳走することにしよう!」
楽しそうに、やや意地悪な表情を浮かべる千木良世――遊ばれてることを察し、思わずムキになる。
畜生、限界まで走ってやる――軽やかとはいえないフォームで全力を維持する。
肺が灼け、心臓が早鐘を打つ――汗が目に染みる。
それは座学と違って、少しばかり爽やかな気持ちへと自分を誘ってくれた。
戦術機連携や戦略的部隊展開などの座学は問題なく習得している――どうやら自分は理論理屈を把握するのは不得手ではないらしい――一~二度教本を読めば、それなりにポイントが把握できた。
だが、理解が早いことに楽しいという感情はなかった――なんとなく二度手間をしているという意識がある。
人の気配を感じ、右に視線をやると自分と同じ速度で爆走している女性がいた――長い黒髪が上下に揺れている――どこか日本人形を連想させる女性――篁唯依。
途端に足が絡まり、マシンから投げ出されて悲鳴を上げた。
「痛っ……」
膝を抱えてうずくまる――どこかにぶつけたのだろうか、強い痛みに患部を抑える――骨は折れていないはずだが、内出血しているのは間違いないと思った。
「うおおおぉぉぉ……!! しまったぁぁぁ……!!」
絶叫しながら千木良世が走っている――おそらくマシンの速度を下げようとして操作をミスったのであろうと推測。
「大丈夫ですか?」
落ち着いた声に視線を向けると右側で走っていた女性が立っていた――篁さんではない――雰囲気に飲まれて見誤ったのだと気づく。
篁さんではない手が伸びてきて、立たせようとしてくれていると理解した。
「あ、ありがとうございます……」
ますます篁さんと同じだ――思わず視線を逸らしてしまう――。
「随分と派手に転びましたね。お怪我はないかしら?」
顔が熱くなる。
「だ、大丈夫です、骨は折れてないはず……」
「そう? それなら良かったわ」
「すみません、ご迷惑をお掛けしました」
隣のマシンで走っていた人間が転倒すれば誰だって驚くはずだ――失敗が心底恥ずかしい。
だが、それ以上に篁唯依を連想させる空気に、女性の顔をまともに見ることができない。
「相変わらずそそっかしい人ですね」
相変わらず――それは女性と自分が旧知の関係であることを意味する。
視線を上げ、女性の顔を改めて見直した――日本人だ――でも思い出すことはできなかった。
篁さんに似ている――いや、篁さんよりはきつい印象がある。
長い黒髪――姫カットというのだろうか――年齢はそれこそ篁さんと同じくらいだろう。
「……記憶、まだ戻ってないようですわね?」
「あ……すみません」
もう何人もの人間に記憶の有無を尋ねられているが、こればかりはどうしようもない――謝るしかないのだ。
「……念の為、お医者様の診断をお受けなさい。――いざという時に動けないと後悔することになるから」
「は、はい……」
黒髪の女性はマシンに掛けてあったタオルを取るとトレーニングルームを出ていった。
その後ろ姿が自分に対する失望を表しているようで辛くなる。
「だ、大丈夫か、管理官?」
やや息が荒い千木良世――どうにかランニングマシーンは止められたらしい。
「はい、大丈夫です。……なんかみんなに心配を掛けてしまって」
情けなさが自分に対する愚痴となって零れてしまう。
「良いではないか? 心配してくれる人がいてくれるのは幸せなことだぞ」
何かを飲み込む――だが、結局我慢し切れずに零れてしまった。
「でも、いまの人にも失望されてしまったようで……」
「いまの……ああ、山城さんか」
やはり知り合いなのだ――であれば、彼女も衛士なのだろうか?
千木良世が口を尖らせ沈思黙考――それから、まぁいいかと呟いた。
「山城さんは篁さんの友達だったのだ。確か同じ訓練校の同期だったと思う」
ドクンと心臓が鳴った。
「おそらく篁さんの最期を聞きにきたのだろう」
千木良世の言葉――一瞬ですべてを理解する。
「気を使ったのであろうな。――私に尋ねてくれてもいいのに」
違う――気を使われたのではない。
おそらく――見限られたのだ――やはり軽い気持ちで自分の存在価値を証明しようとしてはいけなかったのだ。
苦い記憶はいつまでも胸中に鎮座しており、そう簡単に忘れることはできない――それならば、やるしかないのだ。
痛む箇所を擦りながら考える――動き出そう。
まずはできることから、可能な限り――。
戦術機用シミュレータールームは24時間開放されており、衛士たちは自由に訓練することを許されている。
だからだろう――すでに21時を過ぎていたが数人の衛士がシミュレーターを利用していた。
管制ユニットから直接的に脚が生えている用に見えるシミュレーターがガチャガチャと音を立てて動いている。
さながら体感型のゲーム機のようにも見えるが、強化装備を装着して使用すれば感覚欺瞞機能が働き、限りなくリアルな機動を体感させてくれる代物だった。
指定されたロッカーから自分用に誂えられた強化装備を取り出す――立てかけたタブレットで装着の動画を流して手順を再確認する。
記憶の喪失と共に停止された衛士搭乗資格を再取得するため、操縦を学び直すようにとの命令が下されていた。
悠長に記憶が戻るのを待ってくれないのは当然――組織に所属している社会人である以上、給料分の仕事はしなければならないのだから。
それにしても――強化装備の形状に少し呆れる。
構造上、体型を強調しているように見える所に若干の抵抗があった。
自分は中背中肉で特徴のない体型をしている――傭兵として鍛えてはいたようだが、他人と比較すればこれもまた平均的だ。
強化装備の基本構造はボディスーツに近い――だが、これほど薄手なのに耐刃、防弾機能があるという。
拳銃で弾丸を撃ち込む様子を映像資料で確認したが、装着者に怪我はなかった。
実際、スキンにゆっくりと触れると柔らかいのだが、叩くとスキンが驚くほど硬化する。
肩周りや腰部、脚部の硬質パーツも耐刃、防弾機能はあるらしい――まさに現代の鎧だと思った。
「お、ようやく出てきたか、管理官。どうやら問題なく着れたようだな」
ロッカールームから出た廊下に強化装備姿の千木良世が待っていた。
女性用ではあるが基本的には自分が使用しているのと同じ形状の強化装備――ボディラインが強調されており、腹部前面の半透明被膜も相まって扇情的ですらあった。
スタイル良いんだよな――言動に子供っぽさの残る千木良世だが、すでに肉体は男性の興味を惹きつけるレベルに成熟している。
記憶喪失以降、自分の最も近くにいてくれているのは千木良世であり、その彼女に性的なものを自覚してしまった気恥ずかしさ――誤魔化すために話題を振る。
「どうですか? マニュアルどおりにやってみましたが、首周りや鼠径部が若干きつい気が……」
「むー、どれどれ、確認してみよう」
そんな真意には気づくはずもなく、千木良世はぐるりと自分の周りを回った。
「問題ないようだぞ? それと首周りと鼠径部がきついのは耐G機構のためだな。いざという時、血流をコントロールするため、締め付けられるようになってる」
「ブラックアウト、レッドアウト対策の……」
言われて思い出す――Gによって脳に血を廻せなくなるのがブラックアウト、逆に過剰に血が脳に過剰に送り込まれてしまうのがレッドアウト――座学でそう学んでいた。
「そうだぞ。これがあれば旋回時の遠心力に負けない」
実際、航空機ほどのGが掛かるのだろうか――わからない。
「そこまでGが掛かるものなんですか? 航空機より速度はでないと……」
「戦術機の跳躍ユニットはジェットエンジンとロケットモーターの複合になっているだろ? 光線級に捕捉された場合、ロケットモーターを吹かして遮蔽物に逃げ込むことになる。実際、私も8Gまでは何度となく経験しているぞ」
そうだった――ロケットモーターを使用しての緊急加速――自分が記憶を失ったのも、それが原因だった。
補給食を摂取しようと戦術機のシートと強化装備のコネクトを外した瞬間にBETAが出現――千木良世が反射的に加速したため、自分は管制ユニットの内壁に頭を強打したのだ。
「8G……」
それは自分の体重が8倍になるということだ――指先ひとつでさえ動かすのが難しいと言われる世界――そんな中で操縦しないといけないのかとビビって慄く。
「加速して建物の陰に飛び込んで、今度は行き過ぎないように制動をかける。戦術機戦闘はストップ・アンド・ゴーの繰り返しだ。加減速は慣れないと気持ち悪くなる。思わず戻しそうになる」
気持ち悪いで済むはずがない――過剰に繰り返されれば自律神経が混乱し、加速度病を発症させる恐れもある。
「重力加速に負けないようにするために耐G呼吸法という技もあるのだ。強化装備の性能だけに頼るわけにはいかないからな。――実演するから真似してくれ、管理官」
「は、はい!」
「ひっひっ、ふー……! ひっひっ、ふー……強く二回吸ってゆっくりと吐き出すんだ!」
「わ、わかりました……! ひっひっ、ふー……! ひっひっ、ふー……」
何か違う気がする――これは出産時のお母さんがする呼吸なのでは?
「その調子だ。上手いぞ、管理官!」
「ありがとうございます……!」
とりあえず続けてみる――将来、何かの役に立つかもしれないし。
結局――耐G呼吸の訓練はシミュレーター演習を終えて着替えにきた御剣さんにそれは少し違うと指摘されるまで続けられた。
薄暗い管制ユニット内に起動プログラムが走る。
あの日と違い、前席に自分が、後席に千木良世が座っていた――今日は彼女が教官を務めてくれる。
「管理官は自分が失敗したと思っているのだろう? ならば訓練が必要だ。トラウマにならないように早めに演習を再開すべきだ」
千木良世が珍しく真顔で言った。
「人間、考えすぎると自己評価が低くなりがちだからな」
網膜投影によって仮想の外界が表示される――荒廃した都心――心のどこかがキュッと音を立てた。
「基礎的な動作の確認から始める。戦術機の操縦は車の運転と同じで乗れば慣れる。――知ってるか、管理官? レースゲームで訓練した男が実際の世界的レースで優勝したことがあるらしいぞ」
「そうなんですか……」
確かにこの現実再現性の高さから考えれば、そういう事態があってもおかしくないだろう――あの日と同じで視点は地上から高い場所にある。
自分が巨人になった感覚――その身体感覚を身に着けねば、戦術機を操ることはできない。
「まずはチュートリアルからだな。――初級訓練プログラムを開始するぞ」
はい、という返事と同時にローディングが始まった。
仮想訓練プログラムは戦術機の損傷や砲弾、推進剤の消費による重量変化まで再現してくれる。
機械音声――どこかで聞いたことがある気がした。
『――衛士初級訓練プログラムを開始します』
操縦桿を握る手に力が籠もる――後席の千木良世のアドバイスを受け、課題をこなしていく。
やるしかない――そうでなければ、自分を許すことはできないと思った。