1-18. 現実世界 彼女の事情

篁 唯依

もうこの天井は見慣れたな――灰白色のパターンとLED照明を見つめながら思った。
最初は見慣れぬ天井だった。
二度目は自分が死んだのだなと理解した。
そして三度目の現在は検査の暇を潰すために見上げている。
「……終わりました。問題ありませんでした」
傍らで機械を操作していた白い少女が検査の終了を報せるのと同時に白衣を着た女性が入室してきた。
少女から差し出されたタブレットを受け取ると、白衣の女性――香月こうづき夕呼ゆうこは雑に目を通した。
「フォグもなし、異常焼き付きもなし……綺麗なものね。緊急出動させたからどうかと思ってたのだけど」
「ご心配をお掛けしました」
のそのそとベッドから起き上がりながら答えた。
「問題なくて何よりよ。――あとは前回と同じ。友人たちと話して記憶の共有化をしておいてちょうだい」
「わかりました」
香月こうづき夕呼ゆうこは隣の部屋にいるからと少女に告げて予備室へ向かった。
少女はこくんと頷くとお疲れ様ですと小さく言った。
記憶の共有化――初めて聞かされた時は驚いた。
そういえば、あの時も目の前の少女に説明されたのだったなと思い出した。
タンクベッドで覚醒し、自分がどこにいるかもわからないまま悄然としている時に少女に声を掛けられたのだ。
貴方には生前の記憶が完璧に移植されています――しかし完璧がゆえに問題があります。
個人の妄想、認知間違いなどもそのまま焼き付けられています――よって記憶の齟齬を修正するために知り合いと記憶のすり合わせをしてください。
そして間違った記憶を修正してください――目の前の少女にそう告げられた。
「……すまない。申し訳ないが貴女の名前を失念してしまった。教えていただけないだろうか?」
これから何度も世話になるだろう――彼女の名は記憶しておくべきだと予感していた。
「……やしろかすみです」
外国人にしか見えない少女の和風な名前に少々面食らったが、ここにいるなら彼女も再生者の一員なのだなと考えを修正する。
「私はたかむら唯依ゆいです。よろしくお見知りおきください」
それならば、あの世界で親が難民となり、日本で生まれ育った可能性もあるだろう。
「知ってます……」
「そ、そうだな。カルテがあるのだからな! 知っていて当然だな!」
「はい……」
かすみという少女は物静かで言葉数が少ない――かすみという名には合っているなと思う。
とはいえ、天才と呼ばれる香月こうづき夕呼ゆうこ専務の手伝いをしているのだ。
幼い外見をしていても、彼女の頭は相当に切れるのだろう。
「それにしても……妄想を現実として記憶してしまう。そんなことが本当にあるのだろうか?」
検査器具を外しながら質問。
「……はい。間違えて覚えてること、たくさんあります」
やしろかすみが器具を回収しながら答える。
そんなものなのかな――いまいち釈然としない。
他人から間違った記憶があると指摘されるのは、自分の過去を否定されるような気がして、感情の座りが悪いのだ。
『――脳の中で起きてる情報に真贋はないのよ。事実なんで見方によって変わってしまうし、人間の脳は自分の都合の良いように記憶を改ざんするわ』
予備室の窓から香月こうづき夕呼ゆうこがこちらを見ていた――彼女はマイクに向かって言葉を続ける。
『そんなにクソ真面目に考えなくてもいいわよ。自分が勘違いしてないかどうか、確かめて貰うだけよ』
「……ですが、必ずしなければいけない作業なのですよね?」
気楽にやっていいとは言われたが、同時に絶対にやらなければならないと強制されるのはどういうことなのだろうか――。
『不安解消のためよ。再生された貴方たちは自己の存在を疑う傾向にあるの。そんな時、自分の頭だけで考えていてはろくでもない思考にしかならない。だから仲間と話すことによって、元とたいして状況が変わらないことを認識して貰う。――要は他人を鏡にして自分を見直して貰うのよ』
他人の持つたかむら唯依ゆいのイメージで自分を塗り固めるということか――納得できない気持ち半分と受容する気持ちが半分。
『あなたの同期も随分と心配していたわ。作戦中はろくに会話もできなかったでしょ?』
「……はい」
救出作戦に参加した自分の部下――作戦中に山百合女子訓練校の面々と思い出話をする時間はなかった。
元気そうね、問題はない?――せいぜいその程度だった。
壁掛け時計を見上げる――この時間なら彼女たちはPXにいるだろう。
「今日中に話しておきます。――報告は要りますか?」
「違和感がない限り必要ないわ」
わかりました――そう答えてから退出の許可を貰った。

廊下の照明の光量は抑え気味だった。
最初の角を曲がろうとした所で女性とぶつかりそうになり、慌てて謝ろうとした。
「謝る必要はないわ。ぶつかっていないのだもの」
長い黒髪、聞き心地の良い声と凛とした態度――知っている女性だった。
山城やましろさん……」
山百合女子の同期のひとり――そしてその最期を自分が看取った人。
喉が詰まる――何度再会しても気後れしてしまう。
「どうしたの、顔色が悪いわよ」
「あ……え、えと、検査で少し疲れたかなって……。や、山城やましろさんはどうしたの?」
この先は再生者の調整エリアだ。
香月こうづき専務と面接」
「そ、そうなんだ……」
何と続ければいいのだろうか。
大変だね――面接の理由は――話してくれれば相談には応じるよ――駄目だ、こういう会話を山城やましろさんは好まない。
ふと気づいた――自分は山城やましろさんに観察されている。
「あ……あの?」
山城やましろは目を逸らさない。
じりじりとした時間が経過する。
「生還おめでとうとは言わないわ」
「…………」
「そのまま死んでいれば良かったのにとも言わない」
背筋がひやりとした。
「そう……でしょうね」
あぁ――強烈な記憶が蘇る。
ひとつは彼女の死にざま――夜の京都駅――大量の戦車タンク級――被弾して動けなくなった瑞鶴ずいかくと壊れた管制ユニットの中で身動きできない山城やましろ上総かずさ
死に臨んだ彼女の叫び――あの時の自分はその願いを果たすことができなかった。
そしてもうひとつは一度目の再生後の話だ。
再生した仲間たちと再会し、奇妙な運命に感謝した。
彼女たちの時間はあの日の京都で止まっており、自分にはそれからの大きな時間があった。
それでも失ったはずの存在との邂逅は嬉しく、互いに涙を流しながら抱き合っていた。
その輪からひとり外れていたのが山城やましろだった。
あの後、ふたりきりになった時に彼女は言った。
再生可能な死に何の意味がある――人生は一度だけだから意味がある。
死の淵から引き戻されたことに彼女は納得していないと知った。
そして彼女は言葉を続けた。
「自殺は趣味じゃない。だからもう一度死ぬまでは全力で生きる。その後は――私は再生を望まない」
デウカリオンの甲板上だった――夜の雨に晒された髪がべっとりと貼りついていた。
今度こそBETAに勝利して人類を救う――そう考えて気勢を上げていた仲間たち――彼女たちに幾ばくかの距離を感じつつも、本質的には自分も同じ考えだった。
しかし、彼女だけは視点が違っていた。
その彼女の宣言に自分は何と答えたらいいのだろうか――その答えはいまだに出せないままでいる。
だから――。
「……それじゃ、私は行くわね」
つまらないものを見たかのような山城やましろの反応。
掛けるべき言葉が見つからない――山城やましろが去っていく。
「…………」
足音が小さくなり、扉の開閉音を最後に沈黙が周囲を包み込んだ。
誰もいなくなった廊下でたかむら唯依ゆいはひとり立ちすくんでいた。

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