全身に冷感が走る――落下感。
金属がぶつかる音と巨大な振動――まるで交通事故。
「――喰らったッ!」
苛立った女性の叫び――その声は自分の数十センチ前から発せられていた。
「機体損傷ッ! 胸部装甲に歪み発生ッ!!」
前方やや下――高い位置で髪をまとめた女性の後頭部が半透明で見えた。
半透明――女の亡霊か?――反射的に息を飲む――しかし、その疑念は生々しい怒声でかき消された。
「立て直す! ――援護頼む!」
幽霊ではない――だが正体は不明。
瞬間、再び内臓に冷感――後ろに跳ねた感覚。
要撃級との距離が開いた。
後退――半透明の女性が何かを操縦している。
自分はそれに同乗しているのだろうか――現実がわからない。
なぜだ――前席の女性に質問すべきではないか――でも、それで集中が乱れたらどうなる――何をすればいいのかわからない。
そもそも人間が半透明に見えるとはどういうことだ――自らの顔面に手をやると自分がヘッドセット状の何かを被っていることに気づいた。
額に触れると痛み――自分が出血していると気付かされた。
『――ソードダンサーよりドーンパープル、私の後ろに入れ!』
ヘッドセットから電子音――いまの声は無線だろうか。
「――了解」
前席の半透明状態の女が応えた――どうやら前席で操縦している女がドーンパープルと呼ばれているらしい。
『――近づくでない! 異星起源種ッ!』
ソードダンサーの声――こちらも女性だ。
要撃級との間に何かが滑り込んでくる――その姿に再び困惑。
それは巨大な神像のようだった。
息が詰まる――藍鉄色の金属の装甲――刃渡り10mはある長刀――まるで鎧武者か甲冑騎士だ。
巨大な人型の兵器――こんなものが現実に存在するのか――再び脳の中で何かが動く音がした。
戦術歩行戦闘機――不知火。
日本帝国の主力戦術機――脳裏に諸元表が浮かぶ。
その速度、その出力、その利便性――自分はこの人型兵器のことを確実に知っている。
人型兵器は異星起源種と戦うための兵器だ――人類同士の戦闘でこの形は意味がない。
人型兵器は異星起源種の巣に飛び込み、制圧するための兵器――頭蓋骨の中を刺すような頭痛。
風切り音――自分たちと要撃級の間に割って入った不知火が長刀を振るうと赤黒い鮮血が舞った。
まるで消防車の放水のように噴出した体液が高層ビルの外壁を赤黒く染めていく――それが異星起源種の体液だと自分は知っている。
なぜ、そうだと知っている――小さな疑問が浮かぶ――それは自分が――。
『――ここは私が抑える!』
女武者のような凛とした言葉が耳朶を打った――不知火を操縦している者の発言だと認識。
見れば不知火の向こうから3~4体の要撃級が出現している。
女武者の――おそらくソードダンサーと呼ばれていた不知火が長刀を正眼に構え要撃級と対峙していた。
「大丈夫か、管理官! すまない、躱しきれなかった!」
至近からの呼びかけ――眼の前の半透明の後頭部が振り返り、自分を見ていた。
「どうした、頭でも打ったのか……って出血してるではないか!?」
言われて思い出す――自分は負傷しているのだ。
「ヘッドセットを外してくれ。シート下に予備があるはずだ。それといま傷口に当てるものを――」
半透明の女性――ドーンパープルは若干慌てているようだった。
「すまない、あの時、携帯食を取って貰わなければ負傷することもなかったのに……! 私のせいだ、この借りは必ず返す。とりあえず、その咥えたままの羊羹は管理官が食べてくれ。それは猛虎屋の絶品なのだ……」
ドーンパープルは悔しげに呟いた。
現実と虚構――その境が理解できない――自分は人型兵器に乗って化物と戦闘しながら羊羹を食べようとしていたらしい。
とりあえず食ってる場合じゃない――傷口を確認すべくヘッドセットを外すと視界が闇に落ちた。
電子機器のLEDが微かに発光している――かなり狭い密室にいると認識。
ドーンパープルの手が額に当たる――渡された清拭布を傷口に当てる――ぬるりとした感触で傷の状態を把握――同時に彼女が実在していると理解する。
頭の怪我は派手に出血するもの――誰かに聞いたことがある。
ドーンパープルが予備のヘッドセットを装着してくれようとした――距離が近い――どことなく気恥ずかしい。
装着し直したヘッドセットから電子音――起動と共に再び外界を認知。
網膜に向けて外界情報が照射されているのか――すると中空にタブレット状の枠線が生まれ、そこに見知らぬ女の顔が浮かび上がった。
また女性だ――同時に映像技術に驚く。
『――ホワイトファングよりドーンパープル、ふたりとも無事か!?』
ホワイトファング――白い牙と名乗ったのは黒髪の女性――整った外見――高校生くらいだろうか――清楚という言葉を連想。
二十歳には届いていないはず――少女と成人の境界――髪の一房を化粧紐で結んでいるのが印象的だった。
「私は大丈夫だ。だが管理官が頭部を負傷した。止血中だ」
前席の半透明の女――ドーンパープルが答えた。
『――管理官の意識は?』
ホワイトファングの表情が曇った。
「うーん、なんだかボケっとした顔つきで……羊羹を咥えている」
『――しっかりしろ、管理官ッ! 貴様は肝心な時にいつもそれだ!』
「は、はい、すみません……!」
ホワイトファングの罵声に思わず返事をしてしまう。
管理官――おそらく自分のことだ――どんな仕事なのだろうか?
なんとなく偉そうな役職名だと推測――その瞬間、自分の名前を思い出せないことに気づいた。
どういうことだ――私は、自分は、俺は――何者なのだ?
そもそも男なのだろうか、それとも女なのだろうか――それすら覚えていない。
『――無論、私も貴様の判断力は評価している――が! その不運体質は何だ!? 何故肝心な時に限ってトラブルを起こす!?』
責められるのは理不尽な気がしないでもないが、頬を赤くして真剣に怒るホワイトファングの表情は妙に可愛らしいと思った。
咄嗟に股間を弄ってみる――下腹部は硬質のパーツで覆われており、性器に触れることができない。
胸の感触で判断する限り自分は男性――ド貧乳でなければ、その可能性が高いと判断。
「ホワイトファング、とりあえずこっちで何とかしようと思う! その間の援護を頼む!」
わかった――溜息を吐きながらホワイトファングが応えるとタブレット状のウィンドウが消えた。
短い電子音――再びタブレット状のウィンドウが視界に広がる――周辺の地形情報だ。
味方を示すのであろう4つの黄色の光点を無数の禍々しい赤い光点が取り囲もうとしている。
近づいてくる赤い光点を迎撃するようにソードダンサーとホワイトファングが展開。
それとは別の光点が自機の後ろに回る――手慣れていると思った。
傷口に手が触れた――長い指――気を使ってくれている。
「そのまま傷口を圧迫してくれ、管理官」
「……すみません、あの……管理官とは?」
おずおずと舌に疑問を乗せてみた。
「……は?」
間の抜けた声。
「えっと……おそらく自分のことを言っているのだとは理解しているのですが……」
そこから先はまるでわからない――説明して欲しい。
「……ちょっと待ってくれ」
ドーンパープルは半透明のまま、真剣な表情を浮かべた。
「すみません、もうひとつ……あなたはなぜ半透明なのですか?」
追加の疑問を口にしてみる――通信用のウィンドウに表示されたホワイトファングは半透明ではなかったし、眼の前の女性は傷に触れることができるのだから幽霊ではない。
「半透明って……管制ユニット内は投影されないのが常なのだが……ひょっとして本当に何も覚えてない?」
頷く。
「……ピンチだからこそ小粋なジョークで雰囲気を変えようとしてるとか?」
頭を振る。
「……おわぁ〜……」
ドーンパープルが変な声を出した。
「すみませんついでに言わせて貰いますが、自分の名前も思い出せないです」
「……記憶喪失? 70年代のテレビドラマでもないのに?」
70年代のテレビドラマが何を意味するかはわからないが誤魔化しても意味がない。
「なんでだ!? なんでキミはそんなに凡骨なのだ!? 90年代のハードディスクだって、そんな簡単に記憶は飛ばないぞ!?」
「す、すみませんっ! わざとじゃないんです!」
「そんなことはわかってるんだ、ただ――」
ドーンパープルは言葉を詰まらせた。
奇妙な静寂の中、ピッと電子音が小さく響いた。
『――戦車級の集団が接近!』
ソードダンサーの声。
戦車級――中型の異星起源種――俗称エクウスペディス。
赤黒い体躯、胴体中心にある強靭な顎は戦術機の装甲すら噛み砕く。
脳裏に羅列された戦車級の特徴は舌打ち音で消去される。
「ドーンパープルより小隊各機! 当面の間、各機の判断で戦ってくれ! ――管理官は頭部に負傷、脳震盪で錯乱している! 意識はあるが自分が誰かもわかっていないようだ!」
『――だから、そのバカの指揮に入るのはごめんだって言ったんだ!』
誰だ――ホワイトファングでもソードダンサーでもない女性の声――中空に表示された通信ウィンドウには白い肌で銀髪の女性が表示されている。
表情から好感を持たれていないと認識――おまけにこの人が誰なのかも思い出せない。
改めて自分の記憶が異常な状態だと気づく。
社会的なことは記憶している――建物や看板から、ここが日本だと理解している。
銀髪の女性が珍しいとも認識できている。
そして異星起源種の種類や戦術機についても記憶している。
わからないのは、いま自分の周りにいる人々のことと自分のこと――まるで孔が空いているかのように思い出せない。
四人の女性パイロットを管理するから管理官なのか――状況から推測――正解かどうかは不明。
『――落ち着け、スノウホワイト。喚いても何も変わらぬぞ』
ソードダンサーの通信ウィンドウが開いた――彼女はホワイトファングと同じ雰囲気を纏っていると感じた。
髪は高い位置で結い上げられており、女武者然とした印象がある――凛とした気品が美しさを強調している。
『――はあぁ!? 落ち着けるわけないって! この頭がイカれた馬鹿があたしらの生命を握ってるんだけど!』
スノウホワイトと呼ばれた銀髪の女性の怒声――どきりと心臓が鼓動した。
管理官という仕事の責任は予測していた以上に重いようだ。
『――冷静になれ、スノウホワイト。いまは我々が戦って時間を稼ぐべきだろう』
三枚目の通信ウィンドウが開き、ホワイトファングが再び表示された。
『――ドーンパープルは管理官に現状を説明してくれ。混乱が一時的なものであれば大きな問題はない。可能な限り支援する』
わかったとドーンパープルが応えると通信ウィンドウが次々と落ちた。
彼女たちは再び戦闘に入ったのだろう――そして自分はドーンパープルの、前席の半透明女から状況をレクチャーして貰う必要がある。
ドーンパープルの手が伸びてきてヘッドセットに触れると半透明だった姿が徐々に色が入ってきた。
調整できたのか、これ――ちょっと驚いた――おそらく戦闘中は外界の情報を優先するために管制ユニット内の視覚情報は制限されるのだろうと推測。
そして眼の前の女性の容貌は整っていて――ソードダンサーによく似ていると思った。
ただソードダンサーより髪の色が少し朱色掛かって見えた――姉妹なのかもしれない。
「私の名前は千木良世 紫宵。呼び方は自由で構わないが、戦場ではドーンパープルとコールされている」
ドーンパープル――暁の紫――あるいは胎児が初めて見る世界の色。
「見てのとおり、ここは戦場だ」
疑いようのない現実――傷口がずきりと痛む。
「我々は戦術歩行戦闘機を駆り、異星起源種を打ち砕く者……衛士と呼ばれる存在だ」
衛士――戦術機の操縦手――脳内の情報が更新される。
「そして我々の敵は異星起源種というものだ。――ごつくて可愛くないはない」
かちりと音を立てて何かが嵌まる。
「人類に敵対的な異星起源種……Beings of Extra-Terrestrial Origin and Adversaries of the Human Race。通称、BETA」
やはり脳裏に浮かんだ情報は妄想などではなかった。
「その名称どおり、我らの敵は別の星で生まれた存在だ」
「宇宙からの侵略者……。そんなのまるでSF映画だ……」
見たくない現実を想像の産物として捉える――それはただの逃避だ。
そして逃避が許されない事態であることは充分に理解していた。