エンジンの落ち着きを背中の感触で判断し、煙草を携帯用灰皿に入れて潰す。
体に良くないことは百も承知だが、いまという時に喫煙の習慣は必要だった。
ライトを点灯させると夜の闇に白い糸のような雨が浮かび上がる。
愛車に装着している四連のライトポッドを使えば、もっと明るく見えるはずだが法律的に問題があるので市街地では使えない。
クラッチを踏んでギアを一速に入れる。
アクセルを軽く煽り、パーキングブレーキをリリースする。

その時、ヘッドライトに切り抜かれた視界に何かが飛び込んできた。

見慣れない形状の白い服――少女だ――それも小柄な。
雨に濡れた髪が少女の額にぴったりとくっついている。

思わず息を飲んだ。
科学の徒として幽霊や霊魂の存在は信じていない。
無論、その存在を否定できるほどの材料も持っていないが、それよりは脳という器官はバグを起こしやすいとの認識の方が強い。
二秒ほど動きを止めて頭を振る。
どうやら彼女は現実の存在のようだ――幻視がここまで長く続くはずがない。
だからウィンドウレギュレーターを回して窓を開けた。
傾けた頭を半分だけ外に出し、声を掛けた。
「……こんなところで何をしているの?」
少女の体がびくりと反応した。
ひょっとしたら、車のライトで照らされていたことにも気づいていなかったのかもしれない――。
改めて少女の様子を観察――痩せている――それにとても疲れているようだ。
小学生くらいだろうか――少なくとも大学生でないことは間違いない。
そして見たこともない服装――和装に見えるが自分の知るものではない――警戒心が強くなるが好奇心が勝った。
「聞こえてる? ここは大学の敷地内よ」
少女がゆっくりと自分を見た。
綺麗な子だ――濡れ鼠だというのに凛とした品格を感じる。
少女が自分に気づいた。
視線が絡み合う――妙に大人びた表情だ。
「……つかぬことをお尋ねしますが、ここは白陵大学でよろしいのでしょうか?」
少女の声はか細く不安気であったが、その掠れる声の奥に高貴な気配が存在していた。
「そうね、ここが白陵大学よ。――あなた、教職員のご家族かしら?」
少女はしばらく黙っていたが、やがて家族ではありませんと応えた。
では何の目的で嵐の夜にひとりで――。
「人を探しているのです」
問う前に少女が言った。
「――香月こうづき 夕呼ゆうこという女性をご存じないでしょうか?」
突然出てきた自分の名前に私は動きを止めた。
改めて、少女を観察する――死人のような白い肌――雨に濡れた髪が額に貼り付いている――少女が両手で荷物を抱えていることにようやく気づいた。
「……その人に会って何をするつもり?」
何かの予感。
香月こうづき殿に伝えなくてはならないことがあるのです。恐縮ですが、どこにいるかご存知であれば教えてくださらないでしょうか?」
心臓の鼓動が意識された。
何かが起きている。
「それは内容次第ね」
少女に切り返す。
「……申し訳ないのですが内容は明かせぬのです。極秘情報ですゆえ」
面白すぎる。
「極秘情報ね……。話してみて? それで判断するから」
少女は少しムッとしたようだった。
それが楽しかった。
「――あたしが香月こうづき 夕呼ゆうこよ。この天才に何の用かしら?」
ネタバラシにぽかんとした表情を浮かべる少女。
その顔に満足し、私は微笑んだ。

振り返ってみれば、すべての始まりはここだった。
この日からあの地獄のような戦いが始まったのだ。
あたしの――そして人類の存続を賭けた戦いが、まさにこの瞬間に始まった。

LOADING...